明治初期から昭和20年代にかけ、旧中津村(現:愛川町中津)で発展した箒作りは、神奈川県下でも、有名な産業の1つでした。中津一帯には、座敷箒作りを生業とする職人が大勢おり、ほとんどの農家の畑には、箒の原材料となるホウキモロコシが栽培されていました。

中津箒の原材料となる「ホウキモロコシ」。収穫は1本ずつ手作業で行われます。
しかし、昭和30年代後半になると、掃除機の普及などで生活様式が大きく変わり、箒産業は衰退しました。「箒博物館 市民蔵常右衛門(しみんぐらつねえもん)」は、今から10数年前、元職人が高齢化する中、日本の伝統的な箒の文化を残し、現代の暮らしにあった形で「中津箒」を再興していくため開設されました。

展示されている昭和30年代頃に製造されていたものと同型の中津の箒。当時は、「東京箒」や「関東箒」などと呼ばれていたそうです。
昭和10年に建てられ、当時としては見た目もモダンな鉄筋コンクリート造だった「蔵」を改装した「市民蔵常右衛門」。旧中津村のメインストリートであった「中津往還」に面しています。
(開館時間:(木)~(日)午前10時~午後5時)

当時、蔵の中にはホウキモロコシが保管されていました。
1階には、収集された日本や世界各地の箒が展示されています。地域や生活スタイルによって、原材料も形も様々であったことが分かります。

日本各地の箒。関東一円では「ホウキモロコシ」、西日本では「シュロ」が原材料として使われることが多かったそうです。

15年程前に現地で収集された世界各地の箒。色や形、原材料など、地域の特色が出ています。
市民蔵常右衛門を運営する㈱まちづくり山上代表の柳川直子さんに1階を案内していただきました。
明治初期に旧中津村に箒作りを広めた「柳川常右衛門」から数えて6代目の柳川さん。会社名の「山上」は柳川家の屋号であり、「市民蔵常右衛門」の名称は初代の名前から取りました。
2階には、現代の職人たちの手によって作られた「中津箒」が展示販売されています。

現代の住宅事情に合わせ、かつて作られていた箒よりもコンパクトになった「長柄箒」。曲がった枝を柄に使ったり、持ちやすさや使いやすさだけでなく、飾る楽しみも意識して作られています。
㈱まちづくり山上には、ホウキモロコシの栽培から箒の製造まで、元職人たちから技術の継承を受けた職人たちがおり、時代のニーズに合った大きさやデザインの箒を製造しています。※中津箒の製造を追った「マジいいね!ブログ 知ってますか?ホウキモロコシから「中津箒」を作るまで」も是非、ご覧ください!

製造過程で使われなかったホウキモロコシも無駄にはせず、現代に生まれた「ミニ箒」といった小箒など、たくさんの種類の箒が陳列されています。

初心者にオススメの「ななめ小箒」。使う場所を選ばない万能タイプ。

衣類など布についたホコリを払う「洋服箒」。人それぞれの手に合わせた異なる大きさが用意されています。車内の掃除などにも向いているそうです。

曲がった柄が特徴的な「払い箒」。横方向に払うだけでなく、縦方向にかき出すこともできて、棚の上や本棚などの掃除にも向いています。

「こども用箒」全長約75㎝。3歳~4歳くらいからの子供用で、片手で持つタイプの「手箒」を短くしたサイズ。柄は子供が握りやすいように太くなっています。手ぬぐいのカバーと箒の小さな絵本付。

箒を編む糸も展示されています。生成(きなり)の綿糸に草木染めをしたものです。
引き続き、㈱まちづくり山上代表の柳川さんに2階を案内していただきました。植物を原材料としている箒ならではの「愛おしさ」についてもお話をいただきました。
「市民蔵常右衛門」を運営する㈱まちづくり山上代表の柳川さんは、かつて箒にはほとんど興味が無かったそうです。そんな柳川さんが、箒博物館を開設し、中津箒を再興させようと考えたこと、今、箒作りで大切にしていることなどをお聞きました。