明治初期から昭和20年代にかけ、旧中津村(現:愛川町中津)で発展した箒作りは、神奈川県下でも、有名な産業の1つでした。中津一帯には、座敷箒作りを生業とする職人が大勢おり、ほとんどの農家の畑には、箒の原材料となるホウキモロコシが栽培されていました。
しかし、昭和30年代後半になると、掃除機の普及などで生活様式が大きく変わり、箒産業は衰退しました。「箒博物館 市民蔵常右衛門(しみんぐらつねえもん)」は、今から10数年前、元職人が高齢化する中、日本の伝統的な箒の文化を残し、現代の暮らしにあった形で「中津箒」を再興していくため開設されました。
昭和10年に建てられ、当時としては見た目もモダンな鉄筋コンクリート造だった「蔵」を改装した「市民蔵常右衛門」。旧中津村のメインストリートであった「中津往還」に面しています。
(開館時間:(木)~(日)午前10時~午後5時)
1階には、収集された日本や世界各地の箒が展示されています。地域や生活スタイルによって、原材料も形も様々であったことが分かります。
市民蔵常右衛門を運営する㈱まちづくり山上代表の柳川直子さんに1階を案内していただきました。
明治初期に旧中津村に箒作りを広めた「柳川常右衛門」から数えて6代目の柳川さん。会社名の「山上」は柳川家の屋号であり、「市民蔵常右衛門」の名称は初代の名前から取りました。
2階には、現代の職人たちの手によって作られた「中津箒」が展示販売されています。
㈱まちづくり山上には、ホウキモロコシの栽培から箒の製造まで、元職人たちから技術の継承を受けた職人たちがおり、時代のニーズに合った大きさやデザインの箒を製造しています。※中津箒の製造を追った「マジいいね!ブログ 知ってますか?ホウキモロコシから「中津箒」を作るまで」も是非、ご覧ください!
引き続き、㈱まちづくり山上代表の柳川さんに2階を案内していただきました。植物を原材料としている箒ならではの「愛おしさ」についてもお話をいただきました。
「市民蔵常右衛門」を運営する㈱まちづくり山上代表の柳川さんは、かつて箒にはほとんど興味が無かったそうです。そんな柳川さんが、箒博物館を開設し、中津箒を再興させようと考えたこと、今、箒作りで大切にしていることなどをお聞きました。